階段の上で

朝の路地の階段を、ゆっくり上っていく人がいた。そばでは老いた犬が同じ速さで足を運んだ。犬は階段のひとつごとに息を整えるように少し止まり、人もそのリズムに合わせて止まった。 そうして休みながら上っていく後ろ姿を見ていると、私の歩みも少し遅くなった。着く時間が遅れてもかまわない気がした。彼らが階段のてっぺんでまたゆっくり歩き出したとき、私はまだその下に立っていた。

落ち葉を払う指先

朝の空気が、乾いた葉の砕ける音で満たされていた。ひとりが膝をついて、犬の脇腹に手を添えた。隣の人もつづいてしゃがんだ。落ち葉を払い落とす指先は、その場所に長くとどまった。犬が頭を下げて、その手の甲をなめた。 指のあいだで砕けた葉のかけらが風に散った。ひとりが隣の人の袖についた葉を取ってから、その葉を手のひらに載せて、しばらく眺めた。交わした言葉はなかった。二つの手が同じテンポで動くだけだった。 二人が立ち上がって歩き出したとき、落ち葉が何枚かあとを追って転がった。散歩道の果てへ消えたあとも、まだ冷たい空気に乾いた葉のにおいが残っていた。

窓枠の雀ふたつ

朝のニュースであなたの故郷の名前が出ました。画面には見慣れた看板と通りが流れていきました。私はコーヒーを飲む手を止めて、その名前をもう二度聞きました。あなたがそこで歩いていた路地を思い出しましたが、その路地はもう、あなたが去ったあとの姿でした。 ニュースが終わってつけたテレビで、同じ名前がまた二度聞こえましたね。そのあいだにうちのマンションのベランダでは、窓枠にとまった雀がもう一羽、並んで座っていました。 あなたがそこで見ていた朝は、私と同じだったでしょうか。同じ日差し、同じ埃、同じ空気。その思いがしばらく私を引き留めていて、ニュースが終わると静かに放してくれました。 ニュースのあとにつけた画面の中にあなたの路地があって、ベランダの雀がふたつ並んで座っていますね。その窓枠に座っているあいだだけでも、あなたの一日がよく晴れていますようにと願ってしまいます。今日はあなたの故郷の天気が、きっとよく晴れているのでしょうね。 窓枠には雀が二羽残っていて、画面はもう別の町の朝を過ぎていました。

風の連れていった銀杏の葉

ベンチに忘れられた水筒が、朝の日差しを受けて光っていた。その前でひとりがまた足を止め、隣の人は水筒を取り上げて、その場所に先に座っていた。 街灯がともる前、夕方の風が銀杏の葉をひとつかみ舞い上げました。ベンチに座った人は手を組んだまま、それを眺めていました。手を払って立ち上がり歩き出すのに、風はまた葉を連れていっていました。 風が葉を連れていくほうへ、二人の足取りも一緒に移っていったのですね。そのあとに銀杏の葉がもうひとつかみ落ちて積もったことでしょう。 夜が更けると風も眠り、落ち葉は街灯の下で自分の影だけを抱いて積もっていた。

二つの場所

朝、私はあなたの声に、うん、と答えていた。でもつま先がやけに気になった。 犬の視線は、通話が長引くあいだも床から私を引き留めていた。待っているのでも、望んでいるのでもなかった。ただ、朝が私の足の甲に下りてきたのを一緒に見ているだけだった。 通話が長引くほど、私は二つの場所にいた。ひとつはあなたの声の届く場所、もうひとつは足元で朝のとどまる場所。 通話が終わって犬が顔を向けたとき、私もようやく息を吐いた。交わした言葉はほとんど過ぎていったけれど、あの朝はつま先にそのまま残っていた。

鞄の持ち手に染みた朝

朝の日差しがベンチの背もたれに沿って、ぬるく下りていた。隣の人の膝と自分の膝のあいだに、銀杏の葉が一枚転がり込んで、かさりと止まる場所があった。 彼は鞄を持ったまま座った。ベンチの上に置くべきなのに、持ち手を放した瞬間、二人のあいだの間隔がそのままあらわになる気がした。隣の人は秋風に袖を引き下ろしながら空を見た。風が吹いてはまた静かになる、公園の朝だった。 鞄を下ろす代わりに、彼は鞄を膝の上に載せたまま、親指で革のしわを撫でていた。隣の人の袖口が少しずつ、彼の手の甲に触れた。 結局、彼は鞄を横に立てて、二人のあいだには置かなかった。代わりに膝の上で持ち手をそっと緩め、そのあいだを風が通るままにした。袖口がまた彼の手の甲をかすめたとき、彼は鞄ではなく風をつかんだのだと思った。そのときまでも、彼は手を鞄の上に置いたまま、下ろすタイミングだけをうかがっていた。