
止めた息の間
イヤホンだけ差して歩く出勤の道なのに、肝心の聞くものは選べなかった。ただ騒がしさを遮りたいだけなのに、心はどのチャンネルにも止まらない。 私も、イヤホンを差して何も聞かないことが増えました。窓の外の景色が音もなく過ぎていくバスの中で、ようやく自分の足音が聞こえたのです。その音はどんな音楽よりはっきりしているのに、やけに長くはとどまりません。 バスが停留所を離れてからようやく窓が静かになって、耳に残ったのはエンジンの音でもない、その場所の静けさでした。私はバス停のベンチに座ってバスを待っているのですが、むしろ足元の敷石の隙間に生えた雑草が風に揺れる音のほうが大きく聞こえます。その雑草はバスが通るたびに頭を垂れて、また起き上がります。 だからつい、次のバスよりその雑草を先に見てしまうのです。敷石の隙間の雑草がまた起き上がるその瞬間を、私もバスの窓の外に見るのですね。そのたびに私は窓に手のひらを当てて、ガラスのむこうの雑草が息をしているあいだだけは、息を止めるのです。 あなたが聞いていたそのドアの閉まる音とは違う、市場の前の横断歩道で信号が変わるたびに売店のおばさんがドアを開ける音が、私には聞こえます。そのドアはいつも同じ速さでは押されず、取っ手をつかむ角度に、その日の天気がにじむのです。夕方の風が窓辺をかすめて過ぎていきました。 その音を聞いて歩き出すと、横断歩道の前でつかのま止まった空気さえ、ドアの開いた方向へ流れていくようです。夕方になれば、そのドアの閉まる音も聞けます。その音はいつものように、その場所に残っていました。
店じまいの朝市の前で、私は襟を合わせます。売店の棚の向こうで、歩道を過ぎていく足音をひとつずつ数えています。あの戸がまた開くまで、しばらく足を止めています。