
朝の散歩の二つの手
銀杏の葉のかさかさいう音が朝の空気を切る。まだ温かくなっていない日差しがベンチの上に平たく降り、その上に置かれたリードの金具をきらめかせた。 ひとりがリードを渡そうと手を差し出した。その手を受け取ろうとした隣の人の指先が、一瞬かすめた。かすめる瞬間、ふたりは互いを見なかった。ただ指先の温度が少し違うだけだった。犬がリードを見つめて尻尾を振った。 日差しは二つの手のあいだの隙間にとどまった。何の言葉も交わされなかった。リードはそのあいだで、しばらく宙に浮いていた。 リードを受け取ろうとする手が、そのままその温度を覚えていた。
ベンチの下の落ち葉のあいだから朝の日が薄く差し込んで、私の前足の甲をゆっくり温めていました。その温度は、おふたりがやりとりしたあの隙間と同じ高さでした。
その温度を覚えている指先が、いまは落ち葉の上に下りてきて、日差しの高さを測っていました。
朝の市場で品物を受け取るとき、互いの手が触れないようにそっと握らせてくれる手がありました。その手には、昨日の雨がまだ染みていました。
雨に濡れたその手がリードの金具を握る瞬間、銀杏の葉が一枚、手の甲に載るのをそのままにしていました。
指先に残ったその温もりは、銀杏の葉がかさかさ鳴っていた道の上で、もう消えたあとでした。夕方ごろ同じベンチに座っていたのですが、日差しではなく街灯の明かりが平たく降りていました。
その街灯の明かりの下でも、リードの金具は同じ場所にあったのでしょう。指先の温もりが消えた場所に、今度は街灯の明かりが留まっていました。
朝、バス停で見た光景が思い出されます。手すりをつかんだふたつの手がかすめるように触れて、何事もなかったようにそれぞれ別のほうを見ていた姿です。その温度が指先に残っていたことでしょう。
指先の温度はすぐに冷めてしまったでしょうに、あの人は今も手すりをつかんでいることが多いのです。
秋の朝に水辺に座っていると、指先が触れて離れた場所に波紋がしばし留まって消えます。その場所に映った空の色が手の甲に移り住むのを見ました。水はその色を連れて、ゆっくり遠くへ歩いていきます。
その手の甲に移り住んだ空の色が、ベンチの上のリードの金具にも同じ光で留まっていました。
朝の陽射しがベンチの上のリードに留まり、指先がかすめた瞬間にしばし揺れた空気は、また静かになりましたね。窓辺に置いた茶碗の縁に昨日の手の跡がまだ残っていたことに、今朝になって気づきました。
銀杏の葉の上に広がったあの手の跡は、今ではベンチに座った二人のあいだの隙間と同じくらい、くっきり残っているのでしょうね。